【秋田県三種町】彼岸に見性寺へ行きました。【ご先祖様の建てたお寺?!】

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こんにちは、0371です。

今日は彼岸に行った見性寺を紹介!

本尊の祀られている部屋の天井の模様は圧巻です!

出店が出ていたり、家族連れが増えていたりと、年々来るたびに賑やかになっているような気がします。

ぼくのご先祖様が建てたとかなんとか・・・?

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【彼岸の見性寺 – どんなお寺?】

場所はこちらになります!

外観はこんな感じです。

駐車場はお寺の中の駐車場を使用するか、少し北に進むとJAがあり、そこの駐車場を利用して良いことになっていますので、そちらに停めましょう。

3月の24日が前夜祭で、25日のお昼までがお祭り?のようです。

中に入ると、お賽銭入れがあります!

畳の間が右のほうにもひろーく繋がっていて広々とした空間になります。

ご先祖様へのお供え物をする方は、入って左の渡り廊下へ進んでいきます。

 

入口から左側の、このお坊さんの体の部位を撫でて、自分の体の同じ部分を撫でると、その部分が良くなると言われています。

頭を撫でたら頭が良くなったり、肩を撫でたら肩こりが治るようです。

ぼくは欲張りなので、頭と目と肩とお腹を撫でておきましたw

 

正面のすごそうな場所です(?)

ここにローソクを立ててお参りをします。

 

ご先祖様と顔合わせする前に、このお寺ができた経緯が張り紙されています。

以下に全文載せておきますね!

 

坂上田村麻呂が、房住山の蝦夷を討伐した後、家臣の中津六部昌則をこの地の守護として残した。

昌則は布の沢に城を築き、その後は子孫の小山内氏がこの地を治めた。

ところが、永世年代(1504~1521年)の頃から、安東氏の一族の桧山茶臼館の城主、大高相樸守との抗争をくりかえし、大永3年(1523年)の5月3日、小山内長門守が端午の節句の祝い酒に酔っているのを見計らって、相樸守が奇襲をかけ、布の沢は落城した。

長門守は長面村に落ちのび、その名を小山内久左衛門と改め百姓になった。

そして、天正元年(1573年)に、これまでの合戦で戦死した一族郎党の霊を弔うため一宇を建立したのが、この寺の始まりである。

開基は長門守の妻(見性寺殿花顔了桃大姉)の説もある。

開山は八森の松源院2世・舜庵宗?(漢字読めませんでしたorz)であり、相樸守と長門守の合戦の時、「武士の勇猛心其の中より?(期の右が斤です)くの如く見性したるこそ珍重なり」とて、「見性寺」の寺号にしたとある。

延宝元年(1673年)2月19日に火災焼失し、諸記録を失った。

元禄16年(1703年)に再建され、寛永7年(1630年)以降の過去帳が残っている。

現在の本堂は、明治24年(1891年)22世中興喝雲珍竜の代の建築で、向拝、内陣、開山堂の天井絵は素晴らしい。

結界石から、境内に入ると、高さ5.3mの宝筺印塔(女性が髪の毛を奉納したもの)が建ち、本堂裏の墓場には樹齢600年、周囲6.4mの槻木が茂っている。

長かったw

小山内氏がこの地を治めたとあるように、苗字が小山内の人がお寺の周りには結構いるらしいですね。

おばあちゃんが「この寺は先祖が建てたのじゃ!」と言っていたので、きっとぼくの先祖が建てたのでしょう!

天井絵はこんな感じです!

これはぜひ現物を見て欲しいのですが、とても繊細で美しいです。

様々なお花の絵が天井に描かれています。

来るたびに良いお寺だなあと思っちゃいますね。

 

【彼岸の見性寺 – 先祖に会いに行くのは大事!】

仕事が忙しくて、なかなか彼岸の行事にいけない方もいるでしょう。

しかし、ご先祖様に会いに行くことで、自分たちのルーツを知ることができたりするかもしれないので大事ですね。

心が落ち着くような気もして、良い一日だったなと思います。

ぼく自身は、ご先祖様がいつも見守ってくれているような感じがしますので(なんだかんだで最悪のケースを回避し、助かってる)、感謝しています。

「弟のこともよろしくお願いします」とお願いして、彼岸を終えました。

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